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家族だから愛したんじゃなくて…

hyouhyou

『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった(地上波再放送、NHK火曜よる10時〜)』を観ています。なぜか涙が出てしまいます。悲しいのではなく、なんというかうらやましいという気持ちなのかもしれません。

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった
これが令和の新しいホームドラマ! 作家・岸田奈美さんが自身の家族について綴ったエッセーを原作に連続ドラマ化! ベンチャー企業家だった父は急逝し、母は突然車いすユーザーに。弟はダウン症、祖母はものわすれ...

私の母は3歳のときに亡くなりました。母のことは覚えていないのですが写真の姿を見た記憶があります。詳しくはわからないのですが心臓病だったらしく急だったとか。今なら助かっただろうとも。父が「お前を生まなければよかったのに」と言っていたの覚えています。その父は中学の頃に。
母は養女だったらしくその後中学から祖母(母の養母)と急で狭いうち階段を登ったアパートの2階で過ごしました。働き始めてから役所から扶養義務調査という手紙が届いたのでもしかしたらその頃から生活保護を受給していたのかもしれません。
躁うつ病の躁状態のときに怒りがこみあげて自分は正しいと周りに攻撃的になってしまうことがありました。アイディアがどんどん沸いてきて眠らずに過ごすことも続きました。今でも浮き沈みはあります。周りの方たちに迷惑だけはかけることがないようにしたいと思います。
姉は就職したり結婚したりずっと別々に過ごしていましたが入院手術の付き添いをお願いしてから1~2ヶ月に1回位食事に行ったり旅行をしたり連絡を取っています。唯一の家族。ありがたい存在です。
お盆はお寺に提灯をもってもらい火に行き自宅で松あかし。花火をしたりメインはロケット花火。翌朝は早くから墓所で松あかし。花火と爆竹。墓所でお供えをみんなで食べて片付け。そういう風習でした。
お盆だけどいつもと変わらず一人。今日も透析で通院。台風5号は大きな被害が出ていました。今度は7号。今日も無事に通院できますように。

初めて入院したのは右顔面神経麻痺(2003)でした。翌年、仕事に行けなくなり死にたいと言うようになり精神科を受診。医師から仕事を休むように言われていただいた診断書の診断名は中等症うつ病(2004)でした。その後診断書の診断名が躁うつ病(2005)に変わりました。狭心症によりステント留置(2008)、早期退職(2016)をして障害年金もいただくようになりました。最初は双極性障害として2級(2021)、その後人工透析との併合認定として1級(2023)。
精神科受診後は病気のことを学ぶようにしました。加藤忠史先生の著書を何冊か読みました。加藤先生からメールで生活上のアドバイスをいただいたこともあり大変ありがたかったです。考えてみればこの頃も相当な躁状態だったと思います。
現在、6週毎に大学病院の精神科に、週3日地元病院に人工透析(2023)のため通院中です。
忘れないように、振り返ることができるように、備忘録として綴っています。そして文章を書いているうちに込み上げた感情が落ち着きを取り戻すことができるといいなと思っています。
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