傷病名 慢性腎不全
発病日 平成20年8月14日
初診日 平成20年8月14日
平成13年頃、健康診断で血圧や血糖が高いと指摘されたが病院は受診していなかった。20歳代後半から体重が増加し始め、30歳代には80~90キロ台、40歳代には100~110キロ台となっていた。倦怠感・身体の不調・口渇等を自覚することはなく、通常どおり仕事を続けていた。
平成15年10月、顔面神経麻痺の診断で2週間入院した。平成16年7月、うつ病となり抗うつ薬が処方された。平成17年4月、双極性障害と診断が変更になった。この間、糖尿病の指摘はなく、治療を受けることはなかった。平成20年8月14日、通院先の精神科医師から「糖や脂質の数値がかなり高い、大変重い状況なので本日受診したほうがよい」と話があった。精神科での糖尿病治療は困難とのことであり、県立病院を受診することにした。
平成20年8月14日、糖尿病治療のために県立病院を受診した。
検査の結果、HbA1c13%、中性脂肪異常高値との指摘を受け、肥満に伴う著名なインスリン抵抗性が主体の2型糖尿病と診断を受けた。
平成20年8月20日から平成20年8月28日まで入院となり、経口血糖降下薬が開始された。インスリンは尿中Cペプチドで評価すると正常の3倍程度の分泌があり入院時尿蛋白3.6g/dayであった。この原因は高血圧に糖尿病が合併したためと説明を受けた。入院治療により高トリグリセライド血症は食事によって改善してきたが、食前血糖は180〜250とまだまだ高値であり、糖尿病性腎症で尿蛋白が出ているとのことだった。引き続き、経口血糖降下薬の内服と食事療法、運動療法の徹底を図る必要があると指導を受けた。
平成20年8月29日、退院に伴い紹介された内科クリニックへ転院した。
転院時のBMI34.5の高度肥満、HbA1c12.8%の血糖コントロール不良、血圧170/110の高値と指摘を受けた。食事療法、薬物療法を継続し、HbA1c8.9%まで改善したが、血圧は高値が持続していた。
血圧コントロール不良の状況であり蛋白については高血圧によるものと説明を受けた。血糖が異常高値の場合はインスリン治療となるかもしれないが、もう少し食事療法で様子をみたいと説明を受けた。
平成20年11月25日、不安定狭心症の精査・治療目的で同クリニックから紹介された大学病院循環器内科を受診した。今後は腎症の進行も懸念されることから、大学病院で内科治療を続けることになった。月2回受診。
平成20年12月12日、循環器内科から紹介された糖代謝内科を受診した。
経口血糖降下薬の服薬を継続したが、血糖コントルールの不良が続いていた。平成21年5月20日から平成21年6月8日まで医師の指示により管理栄養士の栄養指導を受けた。これまでに一度も野菜と果物を一切食べたことがないなど偏食がひどく食生活を改善していける見通しが立たなかった。
不安定狭心症は冠動脈造影の結果、左前下行枝と回旋枝に器質的狭窄が認められたが、内科的治療で経過観察となった。月1回通院。
双極性障害により平成20年4月2日から平成21年7月31日まで休職。平成21年7月30日離婚。離婚により一人暮らしとなった。人と話せず孤立していた。薬の一包化や公共料金の口座引き落としを始めた。
引き続き経口血糖降下薬を服薬したが、平成27年1月24日のHbA1c10.6%と憎悪したまま推移した。
平成27年2月3日から平成27年2月19日まで血糖コントロールを目的に糖代謝内科へ入院の上、ランタスインスリン注射を開始した。
退院後も経口血糖降下薬とランタスインスリン注射を続けていたが、平成28年5月26日にHbA1c11.2%と血糖コントロール不良が続いた。月1回通院。
平成28年5月16日から平成28年5月18日まで狭心症の治療目的で循環器内科へ入院し経皮的冠動脈形成術によりステント留置。
平成28年5月31日、体力に自信がなくなり、昭和57年4月からフルタイムの正職員として勤務していた職場を退職した。
平成28年6月、退職に伴い地元へ転居した。通院先は変更なし。
転居時のHbA1cは11.2%であり経口血糖降下薬とランタスインスリン注射を続けていた。平成28年8月19日、勤務中に突然めまいとふらつきとなり早退したが途中の道端で動けなくなった。受診するとHbA1cは13.0%と憎悪していた。ヒューマログインスリン注射を導入し単位数を暫時増量することになった。平成28年9月3日のHbA1cは13.9%、eGFR37.1であった。
平成30年8月5日からトルリシティ注射(GLP-1)を開始。週2回通院。
平成28年6月から週4日のパート勤務を開始した。体調不良で平成元年5月28日から平和元年6月16日まで病気休暇で欠勤した。令和元年8月8日精神保健福祉手帳2級を取得。
令和2年12月17日のHbA1c10.2%、eGFR34.2であった。
当時の処方は、経口血糖降下薬、ランタスインスリン注射(朝37単位)、ヒューマログ注射(朝14昼12夕17単位)、オゼンピック注射(週1回)、レパーサ注射(隔週)であった。
その後、eGFRは令和3年10月23日31.4から令和4年10月20日15.2まで低下し、保存期腎不全管理を目的に腎・高血圧内科も受診するよう紹介された。口の渇き、脚のむくみを感じながら生活していた。月2回通院。
令和4年4月から週4日パート勤務を週3日に変更したがふらふらして続けられなくなり令和4年6月に退職。令和3年4月障害厚生年金受給権取得(精神2級)。
令和4年10月22日、糖代謝内科から紹介された腎・高血圧内科を受診した。
同日の受診時に腎不全5期目前の4期と説明があった。これまでの経過や糖尿病性網膜症の存在、尿所見などから、糖尿病腎症4期、慢性腎不全との診断を受けた。同日の超音波検査・単純CT検査によると、腎機能は低下しているとのことであった。血液透析を中心に腹膜透析や腎移植による治療法について説明があった。両脚がパンパンに腫れ上がりかゆみもあった。炭酸水素ナトリウムや炭酸ランタンの服薬指導を受けた。月1回通院。
令和5年2月16日のCr4.61、eGFR11.3となり、令和5年3月1日、腎代替療法のため地元の県立病院を紹介された。令和4年7月から週4日、1日6時間でパートを再開。
令和5年4月5日、大学病院から紹介された地元の県立病院へ転院した。
同日に行った採血検査の結果、eGFR8.5、BUN57.8、Cr5.99であった。医師から糖尿病があり早めにシャント作成が必要と説明を受けた。令和5年4月20日、糖代謝内科、循環器内科、眼科も大学病院から同病院へ転院した。
令和5年5月22日から令和5年6月11日まで入院した。令和5年6月5日のeGFR4.7,BUN82.7、Cr10.21で足のむくみがひどかった。入院中の令和5年5月23日に右内シャントを造設し、令和5年6月6日に維持血液透析を開始した。退院後も同病院で週3回外来透析継続。令和5年6月12日、特定疾病療養受療証交付(人工透析実施)。令和5年6月15日、身体障害者手帳申請(じん臓機能障害)。令和5年4月から週2日、1日2時間のパート勤務。
その後、令和5年7月10日、透析後に意識を失い倒れてしまい、救急室で点滴を受けた。これにより令和5年7月17日、透析時間が4時間から4時間半に変更となった。令和5年7月から週1日、1時間のパート勤務。令和6年3月、定年退職。令和5年7月、障害厚生年金受給権変更(併合認定による1級、精神2級+透析2級)。
令和5年6月26日作成(令和6年3月24日追記)
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